桜の日に思う、no.555 と 家のこと。

桜もそろそろ散り際になってきました。最後には花吹雪までもを楽しませてくれる、なんともドラマチックなイキモノです。

 

桜の季節になると、とくにお客様を招きたくなる、そんな自慢がひとつあります。

我が家のリビングは二階にあり、自宅前の公園にある桜などの木々に向かい合う形で、横長に窓が配置されています。花が咲き、葉が茂り、紅葉し、裸の木になる…一年を通して、窓から季節が飛び込んでくるような隣接感があります。

室内からの景観を重要視する建築は少なくないかもしれません、ですが一般的な住宅地において外部の自然を室内に取り込むには、なかなかなにかを思い切らないと難しいかもしれません。わが家に関しては、開口部はその大きな一つの特徴でもあります。そのかわりに、夏の暑さや冬の寒さもストレートに味わう場合もあります。

なにかを得てなにかを我慢する、という言い方が良いのかはわかりませんが、それは建築だけに関わらずにいえること。本人達の向かい合う姿勢で解決してゆける。快適に住むことはもちろん望みますが、自分達で工夫し手を加えつつ、家と育ってゆくことの楽しみを教えてくれたのは、わが家を設計してくれた no.555 の土田氏でありました。そうやって、愛着ある自分達の家になってゆく、わかっていたようでようやく最近になって実感しているような気がします。

もともと気の合う友人のひとりではありますが、後に活きる余白とやり過ぎない感覚のバランスのセンスを持っているので、とても共感して相談ができることがありがたい。冷静なる情熱があり、そしてなんともいい人過ぎるのです。

先日も追加工事があったのですが率先して塗装のお手伝いに、わざわざ横浜から来てくれました。そしてそれが彼にとって至って特別なことではないらしい。家を建てたあと、設計者がどの程度まで家の面倒をみてくれるのかは、正直一般的なことはわからないが、こんなふうに小さなことでも、駆けつけたり向かい合ってくれる設計者ならば、これからもしなにか起きても信頼して付き合ってゆけると思える。

土田氏の建築は、一見ミニマムな空間に見えますが、住みだした時からぐっと広がりそれが時間とともに層となるのを感じます、そしてこちらのやり方次第で幅を広げられる自由があるのが楽しい。それは住む家族を見つめて想像してプランしてくれる「余白」が最大限に生きるように計算してくれているのかもしれない。

 

久々に愛犬のジウジも一緒にきてくれました。なぜか犬らしくない佇まい?をもつ、可愛いやつ。どうぞまた遊びにきてね。

 

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